三池工業高校に残る監獄の煉瓦塀跡
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- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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by 万歩計さん(男性)
大牟田 クチコミ:7件
炭鉱の労働不足を補う目的で明治16年に大牟田に集治監(監獄)が置かれ、一時は1000人を超える囚人が炭坑労働に使役された。この場所は現在三池工業高校になっているが、グラウンドの擁壁に当時の煉瓦壁が残っている。
三川抗で死者458人という戦後最大の炭鉱事故を起こした2年後の1965年に、三池工業高校が夏の甲子園大会で全国優勝を果たし、事故の傷跡が癒えない町の明るい話題になった。当時の監督は原辰徳巨人軍監督の父、貢氏。
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- 一人旅
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クチコミ投稿日:2020/12/31
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