地上戦の被害を受けたのは沖縄だけではないことが分かる施設
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- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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by Make_HongKong_Free_Againさん(男性)
阿智・平谷 クチコミ:1件
日本は南方からの米国の攻めに対応する一方、北方からはソ連の侵攻に備えていた。
終戦直後ほぼ全ての日本軍は戦闘を停止していたが、樺太方面ではソ連軍との戦闘が続き、当然日本領土同様だった満州国にもソ連軍は侵攻していた。
満州では本来防衛の任に当たる関東軍がいち早く撤退して開拓民が取り残されることとなり、彼らにとって本当の「終戦」ではなかった。
沖縄が昭和47年まで日本に復帰できなかったことがクローズアップされることが多いが、終戦後も日本に戻ることが難しい状況が続き、集団自決やシベリア抑留も含め、生きて日本の大地を踏みしめることが出来なかった人々が多数いたことを再認識しました。
非人道的なことも行われていて、未だに全解決したとは言えない残留孤児の問題も産み出しました。
また性接待という本来先頭を切って取材報道するはずなのに朝日新聞はなぜか有料記事にしているなど、開拓団の出来事を多くの人に知ってもらうには程遠い状況です。
そんななか満蒙開拓平和記念館は歴史的事実を確認できる素晴らしい施設です。
個人的には、子供だと被害者意識一辺倒となりがちなので、分別の付く大人が歴史を見つめるきっかけとすべき場所だと思います。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
クチコミ投稿日:2020/11/23
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