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八重岳野戦病院跡

名所・史跡

八重岳野戦病院跡 施設情報・クチコミに戻る

なごらん学徒看護隊がいた場所です。

  • 5.0
  • 旅行時期:2020/04(約6年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

美ら海・本部・今帰仁 クチコミ:21件

米軍が沖縄島へ上陸する頃、八重岳一帯は独立混成第四十四旅団第二大隊が守備していました。隊長の名を取り宇土支隊と呼ばれていますが、その野戦病院と大隊本部がこの地に置かれていました。

八重岳・真部山一帯を守備していた宇土支隊でしたが、伊江島を守備していた第一大隊が壊滅的な打撃を受け、本島上陸が時間の問題となったなった際、遊撃戦への移行命令のもと田野岳の第二遊撃隊と合流すべく後退をします。その際にこの野戦病院と本部壕は放棄され、多くの傷病兵は放置されて凄惨な様子を呈していたようです。

実際のところ八重岳に支隊が守備していたのは1ケ月程度の短い期間ではあったものの、軍命により多くの住人が山中に避難していたことで逆に戦闘に巻き込まれる結果となり、約1,700名もの軍人・軍族・民間人の犠牲を出している。

この野戦病院には沖縄県立第三高等女学校学徒看護隊〝なごらん学徒隊〟が配属になっていた。数は多くはないようだが前線から送られてくる負傷者の看護に当たっている。しかし支隊の撤退後は解散命令が出されたと言われており、学徒隊戦没者は2人と言われているようだ。しかしうち1人は野戦病院勤務中に戦闘に巻き込まれて亡くなっている。

確かに学徒隊はここにいた。そのことを示す表示板は一部判読不能になっている程劣化している。本部町の管轄のようだが本部壕を含めて土に返っていくのは仕方がないにしろ、何の場所なのかわからないのは悲し過ぎるように思えてならない。

保存が破壊かと問われる戦跡に於いて、疑問が浮かんだ場所でもあった。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
名護から車で30分位。
人混みの少なさ:
5.0
地元ガイドがお客を連れていた。
バリアフリー:
3.0
足元は悪い。
見ごたえ:
5.0
それなりに施設跡が残存している。

クチコミ投稿日:2020/04/09

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