奥山といっても「山奥」ではなかった、昔の盛り場。今では境内の緑地状。
- 3.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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by ワンダラーさん(男性)
浅草 クチコミ:52件
江戸時代には、金龍山浅草寺の「奥」が、「奥山」と呼ばれ、賑やかな盛り場になっていたという。見世物小屋や大道芸人が多かったらしい。
明治時代には、その西側が盛り場になって「新奥山」と呼ばれたという。
手狭なためか、盛り場はさらに西の「六区」興行街に移って行った。
そんなわけで、今の「新奥山」は賑やかだったころの面影はなく、植栽された境内の一角という感じ。立札がなければ気付かない感じだが、記念碑も多く建てられている。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.5
クチコミ投稿日:2019/09/30
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