一時期、米国領事館であったお寺です。
- 3.5
- 旅行時期:2019/06(約5年前)
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by nichiさん(男性)
下田 クチコミ:12件
お寺の入口の表記に私達夫婦は「?」
「安政元年に締結された下田条約により、玉泉寺はアメリカ側の休息所となり」
との表記ですが、下田条約は安政元年ではなく、安政4年では??
下田と函館を開港し、事実上の鎖国を終えた日米和親条約のことかな?
これは嘉永七年、つまり安政元年のことです。(この年、嘉永→安政に元号が変わっています。天皇交代ではなく、内裏炎上、大地震、黒船来航などの災異のため改元です。)
でも締結(調印)の場所は下田ではなく私たちの地元の横浜だし、、、、
このお寺の本堂は、安政3年8月~安政6年5月まで、タウンセント・ハリスと秘書・通訳のヒュースケンにより日本最初の領事館として使用されました。
お寺の中に牛乳の碑がありました。
安政5年(1858年)2月米国総領事タウンゼントハリスは、政務多忙を極め病床にありました。侍女お吉は、ハリスが牛乳を欲するのを知り、禁を犯して下田近在から、和牛の乳を集めハリスに毎日与えたということです。その時ハリスが15日間飲んだ9合8勺の牛乳の代価が1両3分88文之は、米3俵分に相当したといいますから当時牛乳が如何に高価で貴重なものであったかが分かります。
このことが日本における牛乳売買の初めといわれます。酪農事業は重要な国策となりました。
森永乳業の社長により、この碑が建立されています。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2019/09/24
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