長崎を訪れたらココは寄らなきゃ~
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- 旅行時期:2019/04(約7年前)
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by nichiさん(男性)
長崎市 クチコミ:59件
嘉永13年(1,636年)長崎の街の岬の先端に徳川幕府の命により、長崎の25人の有力な町人が出資して出島が築造されました。
街の中で暮らしていたポルトガル人を収容し、貿易の掌握とキリスト教の広まりを防ぐ仕組みが完成しましたが、その翌年島原・天草一揆が起こり、嘉永16年(1,639年)ポルトガル船の来航は禁じられました。
その後、当時平戸で貿易をしていたオランダの商船が出島に移され、以後幕末まで日蘭交流は続き、日本とヨーロッパ間の唯一の貿易地、または蘭学を初め日本の近代化に必要な発信地として、出島は重要な役割を果たしました。
復元された出島をブラブラと楽しみました。
17世紀から19世紀にかけて200年以上にわたり日本とオランダの交流の舞台となった出島です。
その間、武力ではなく交渉により平和的に相互交流が行われた世界的にもまれな場所と言えます。
更にその交易を通して日本は世界各地とつながり、お互いに様々な影響を与えてきました。
有名な出島、鎖国が解かれた時にその役目を終え、オランダ商館も閉鎖されました。
明治15年には埋め立てが始まり、結局その風貌は全く変わってしまいました。
1,996年より復元工事が始まり、石垣があった場所も特定されました。
長崎市による復元整備事業でまだまだ復元中。
長崎市は、2,050年までに再び海に浮かぶ出島が完成するように事業に取り組んでいます。
石垣の一部は国道の下に埋まっており、復元できるか未定です。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2019/09/16
いいね!:4票
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