江戸時代に栄えたのは、天領で交通の要衝だったせいか
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- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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by ワンダラーさん(男性)
中野・小布施 クチコミ:10件
名産の栗や、葛飾北斎で有名な小布施の街だが、江戸時代には北斎を招いたという豪商高井鴻山がいたり、北信の中心となる街であったらしい。
なぜそのように商業が発展したかというと、先ず、大名の城下町ではなく、幕府の天領で代官が治めていたので税も安く、規制も緩かったらしい。
元々北信の街道が分岐する中心に位置し、千曲川の舟運も盛んで、物資の交易が盛んであったようだ。要衝だから天領にしたということであろうが。
千曲川の舟運で新潟港からの北前船という経路ではなく、北前船とは直江津港での積卸で、船で運べないところは牛馬で北前船からの塩などを内陸に運んだようだ。
逆に内陸の農産物等が移出された。
そのような商業の発展で、小布施の街並みが形成され、明治以降の鉄道の発展などで取り残されたことが幸いして、現存するのであろう。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2019/07/27
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