築城の背景は興味深い (龍岡城五稜郭)
- 3.5
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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by 安宿探求所さん(非公開)
佐久 クチコミ:8件
日本では二つしかない星形稜堡の洋式城郭。
三河国にあった大給(おぎゅう)の藩主松平乗謨(のりかた)の築城によるもの。
この松平乗謨という人は、江戸末期の不安定な情勢を憂い、洋学、特に火砲・築城技術を積極的に学んだそうです。そして4千石という本領の狭さから、信州田野口1万2千石の地に移転が認められると五稜郭の建設を進めたとのこと。
大給松平氏は陣屋格ゆえに城を持つ資格がなく、天守閣などの防備施設は作れず、結局住居等の一部が建造され、明治の時代となって未完成のまま取り壊しされてしまったようです。
頂いたパンフレットによれば、五稜郭が守備力を発揮するのは平野の真ん中にあるのが条件で、山に囲まれた当地では洋式大砲により攻撃されれば徹底的な破壊は免れないとあります。
それでも松平乗謨は明治期に日本赤十字社の前身博愛社を創設したこともあり、進取の精神に富んだ人であったということが理解できます。
そんな歴史的背景のある五稜郭ですが、函館のように近くにタワーがある訳ではなく星形を自分の眼で確認することはできません。お濠の曲がり具合からわずかに気配を感じられるくらい。なお敷地の大半は現在小学校として使用されています。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 小海線の臼田駅からは少し遠そう。無料駐車場もあり車が便利
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 空いていました
- 見ごたえ:
- 3.5
- 自力で星形を確認することはできない
クチコミ投稿日:2019/06/23
いいね!:3票
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