幾多の歴史を見つめた名城です。
- 4.0
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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by nichiさん(男性)
白河 クチコミ:18件
小峰城は、結城親朝が14世紀中頃、小峰が丘に城を構えたのが最初と言われています。
でも、結城親朝って誰??
ググってみました。
鎌倉後期から南北朝の武将で、小峰氏初代当主なんですね。
私にとっては江戸の寛政の改革で有名な松平定信のお城と言うイメージが強いです。
江戸幕府成立後、丹羽長重が大改修を行い、白河の街の基礎が出来ています。
丹羽長重とは信長の家来だったあのチョー有名な丹羽長秀の長男です。
信長亡き後、秀吉の対応に苦労します。
関が原では西軍に加わったため、その後もっと苦労します。
でも大阪冬の陣と夏の陣で大活躍!
徳川秀忠によって大抜擢されます。
駅で頂いたブロッシャーを見ながら城を拝見します。
下には白河藩主であった7家の家紋です。
丹羽、松平(榊原)、本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部の7家。
復元された前御門と三重櫓があり、三重櫓の中に入ることができます。
平成3年(1,991年)に三重櫓、平成6年(1,994年)に前御門が、「白河城御櫓絵図」と言う江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元されました。
見事ですねーーー
三重櫓は本丸の北角に立つ三層三階の櫓です。
小峰城の中心となる最も規模の大きな櫓です。
高さは約13m、一階が約12m四方、二階が約8m四方、三階が約四m四方の四角い櫓です。
外観は黒塗り板を張った「下見板張り」で、耐久性が高いと言われています。
江戸時代の初期、幕府は武家諸法度で城郭の新たな建築や増改築を制限しました。
武家諸法度が発布されて以降は、天守に匹敵する三重屋根の櫓が「三重櫓」と称され、天守の代用として城郭の象徴となりました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2019/05/24
いいね!:5票
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