鹿ヶ谷の陰謀・・・。
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- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
喜界島 クチコミ:15件
時は平氏絶頂期の平安時代末期に、打倒平家の旗印を掲げて行われた密談〝鹿ヶ谷の陰謀〟が行われました。その中のひとりである俊寛僧都、後白河法皇側近で真言宗法勝寺執行の地位にあった彼も陰謀参加者の一人として捕縛されました。
密告により露見した陰謀の密談の当事者として俊寛は藤原成経・平康頼とともに薩摩国鬼界ヶ島に配流されました。
あの手この手を使って赦免を願った成経と康頼は後に配流を解かれて都に戻りますが、俊寛は陰謀の首謀者として許されることなくそのまま島に残されました。
その落胆は大変大きなものであったようで、その後俊寛は食を断ち自害したと近い伝えられています。
鬼界ヶ島とはここ喜界島以外にも伝承があるため、間違いないとは言い切れないものの墓一帯に広がっている荘厳な雰囲気は、流人としてではなく俊寛僧都という高僧として島の住民と接していたことに起因しているように思えてなりません。京の都と喜界島、その人々間での結び付きの強さをふと感じました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 喜界空港から車ですぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夕方には誰もいませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 周辺はタイルがひいてありました。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 俊寛の気持ちが伝わってきそうです。
クチコミ投稿日:2018/12/18
いいね!:8票
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