江戸時代の一石橋迷子しらせ石標は、人の往来が多かった一石橋の袂に置かれていました。
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- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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by さいたまさん(男性)
丸の内・大手町・八重洲 クチコミ:77件
江戸時代の一石橋迷子しらせ石標は、人の往来が多かった一石橋の袂に置かれていました。
江戸時代、日本橋や一石橋の界隈は、繁華街としてにぎやかで人通りも多く、迷子が多かったそうです。そのため町の世話役は、迷子のために石標を建て、迷子情報の交換に活用したとのことです。
石標の正面には、「満(ま)よひ子の志(し)るべ」、左側に「たづぬる方」、右側に「志(し)らす類(る)方」と刻まれています。
石標の東側側面に、迷子を捜す方の情報を貼り、西側側面に迷子の状況を知らせる情報を貼るようにしたそうです。
情報交換の手段の少なかった当時の苦肉の策だったようです。
今回、一石橋迷子しらせ石標を訪れ、感心させられた点が、2点ありした。
第1点は、町方の世話役の現状の問題解決のための努力の結集を現場で確認したことと
第2点は、石標に刻まれた「不」印の几基準標でした。
水運や水害の観点から、それぞれの標高を知るため、著名な地点・地物には、「不」印の几基準点が刻まれていました。
一石橋しらせ石標にも刻まれていました。
一石橋しらせ石標を訪れ、初めてその意味と役割について知ることができました。
現在では、測量技術が発達していますので、その事実は、ほとんど知られていません。
東京は、湯島天満宮の門柱にある他、数少ないようです。
勉強になった一石橋しらせ石標訪問でした。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2018/03/27
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