~太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり~
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- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
広島市 クチコミ:49件
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑は広島平和記念公園南西角に原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会の手によって昭和46(1971)年8月4日に建立されました。高さ2.4mのぐったりした教え子を抱えて自らも被爆した女性の教師が悲嘆にくれ空を見上げている像は、当時比治山女子短大教授であった芥川永(ひさし)氏の作成です。
台座に刻まれている〝太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり〟の短歌は昭和21(1946)年に自らも被爆経験のある歌人正田篠枝さん(1910~1965)が占領軍の目をさけ、広島刑務所の印刷部で秘密出版した歌集〝さんげ〟からとられたものです。原爆の劫火の中で、教師を頼りながら死んでいった児童・生徒と、彼らを気遣いながら死んでいった教師の無念さを表現しています。
戦時中の昭和13(1938)年国家総動員法によって学校も戦時体制になりました。昭和16(1941)年の国民学校令により呼称も〝国民学校〟と変わり、現在の小学校にあたる6年制の初等科と中学校にあたる2年制の高等科が存在することになりました。戦争が激しくなると都市部の初等科の3年生以上の児童は空襲を避けるため縁故疎開や集団疎開等強制的に疎開させられ、また当時の学校の夏休みは8月10日~20日だったという〝ふたつの原因〟によって被爆当時の市内には学校に通う初等科1・2年生と建物疎開や勤労動員に駆り出された高等科の生徒らがいることとなり、結果原爆投下時に広島市街にいた〝子供達〟が原爆によって被爆し、多くの犠牲を出すことになってしまいます。
正確な数は今でもわからないとはされているものの、原爆の犠牲になった国民学校児童生徒は約2,000名、そして教師は約200名とされています。しかしその中で被爆死が確認されているのは僅か子供885人、教師143人に過ぎません。
教師を頼って斃れた子供達、そして自らも被爆しどうすることもできなかった教師の無念さをイメージして作られた〝原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑〟に於ける毎年8月4日の慰霊祭には遺族や広島市内の小・中学校の児童・生徒の代表、教育関係者が多数参加して執り行われます。原爆によって志半ばにして倒れた子供達と教師を慰めるとともに〝三たび原爆を許してはいけない〟という平和教育の大切さを、現在・未来へと推し進めてゆく気持ちは、少なからず犠牲となった多くの子供達と先生の心に届いていると信じたいのが本音です。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 平和大橋から歩いてすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 日が暮れてからは誰もいませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 近くまで整地されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 台座の歌と像から伝わる想いに押し潰されそうになります。
クチコミ投稿日:2017/05/31
いいね!:9票
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