解説がなくても意図のわかる像でした。
- 5.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
広島市 クチコミ:49件
〝赤ん坊を胸に抱えこんで 母は 護ろうとする 降ってくるあらゆる災禍から わが身で包んで護ろうとする 母は哭かず〟との願いのもと、〝嵐の中の母子像〟は昭和35(1960)年8月5日に広島市婦人会連合会の手によって平和記念公園噴水前に建立されました。元々前年昭和34(1959)年の第5回原水爆禁止世界大会広島大会を記念して、作者である本郷新氏から石膏(せっこう)像が広島市に日本原水協を通して寄贈されたことに端を発し、それを多くの母親達が〝ブロンズ像〟化を願って募金活動を行って浄財を集め、それを元手に建立されたものとなっています。
この〝嵐の中の母子像〟について作者である本郷新氏のコメントとして挙げられている言葉がありました。
この作品のモチーフは広島の惨害です。胸に乳飲み子を抱きかかえ、背にもう一人子どもを背負って、立ち上がろうとする母子の必死の姿は、まさに突進の形です。普通母子像は、暖かい愛情を表現するものですが、『嵐の中の母子像』は、いつ離れ離れになるかも知れぬという不安と、非常な事態の中での愛情の危機、もしくは極限の状態です。このとことんまで生きようとする母子の像を通じて人間の生命の尊厳を象徴づけたつもりです。だから単なる母子像というより、母子二代にわたる悲しみ、二つの世代に横たわる悲劇の記念碑というわけです。
というものが〝嵐の中の母子像〟そのものとなって現在に伝わっており、この像を知る人ならばその作成意図を知らなくてもわかるものとされています。原爆が齎した〝物凄い嵐〟の中で多くの母子が取らざるを得なかった姿勢であったものの、それでも母子の絆を断つことはできないとの〝訴えかけ〟と〝逃げられただろうか?〟という願望に近い思いが交錯している様子がすごく伝わってきます。母が子を護ろうとしないといわれる現代に於いて、この像から訴えかけられる〝重圧〟に潰されるような気持になってしまいました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和大橋から歩いてすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夜だったので誰にも会いませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 足元は舗装されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 噴水に浮かんでいるようにも見えました。
クチコミ投稿日:2017/05/30
いいね!:9票
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