恒久平和を願う消えることのない〝灯火〟です、消えて欲しいですが…。
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- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
広島市 クチコミ:49件
昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、相生橋を標的として米軍B-29爆撃機エノラ・ゲイより投下された原子爆弾〝リトルボーイ〟が現島内科医院上空700mで炸裂し、付近は一瞬にして〝無〟となりました。その後広島の原爆被害からの復興として昭和24(1949)年11月1日に〝広島平和記念都市建設法〟が制定され、世界に向けて人類の平和を願い訴えることと、過去の過ちを繰り返さないことを目的として〝平和公園構想〟が持ち上がりました。そして昭和26(1951)年8月6日に現在の区域を〝平和記念施設〟とすることが決定され、昭和29(1954)年4月1日に〝広島平和記念公園〟が完成します。
その後〝丹下健三氏〟によって設計された広島平和記念資料館や原爆死没者慰霊碑、平和の灯によって、原爆ドーム~・平和の灯~原爆死没者慰霊碑~広島平和記念資料館を結ぶ南北軸、資料館を中心とする3棟の建物による東西軸が実現し広島平和記念構想が完成します。
そのひとつである〝平和の灯〟は〝反核と恒久平和の実現〟まで燃やし続けるとのコンセプトで昭和39(1964)年8月1日に建立されました。火種は全国の〝宗教の火〟、全国の工業地帯からの〝産業の火〟、それに加え世界遺産となった宮島弥山の〝消えずの霊火〟を合わせたものが、昭和20(1945)年8月6日生まれの7名の〝広島の乙女(当時18歳)〟によって点火されました。以来50余年消えることもなく現在に至って燃え続けております。
平和の灯リレーや各種スポーツの祭典等の〝聖火〟として採火されることも多い〝平和の灯〟ではありますが、時折〝原爆の残り火〟が含まれていると記載されているものがあります。これは誤記であり徴兵されて広島の駐屯地におられた福岡出身の兵士の方が、原爆投下を目撃し、広島市で書店を営んでいた叔父の安否を尋ねて原爆投下直後の広島の街中を駆け巡る中で黒焦げの死体、うめき、助けを求める声が脳裏から離れない経験をした彼は書店倉庫跡地で燻っていた〝火〟を懐炉に移し、故郷へと持って帰られます。その際に〝原爆の火〟という認識はなく、祖母に叔父はこの〝火〟によって焼き殺されたと伝えるためであったとされています。〝恨みの火〟として持ち帰ったものではあれど、その後経時等他力的な理由によって次第に〝被爆者の供養の火〟、そして〝平和を祈る火〟へと変わって行ったそうです。個人的に長きに渡って保存されていましたが、昭和43(1968)年に福岡県星野村に寄贈され、以来星野村(現八女市)の〝平和の塔〟に於いて燃え続けています。予想外の分火で謂れが曖昧になってしまったことは一時期問題にされたこともありましたが、現在では全国に点在する〝平和の火〟は広島の〝平和の灯〟・長崎の〝ナガサキ誓いの火〟そしてこの星野村の〝平和の火〟の3つを集火することが慣例となっているそうです。
色々な場面で〝平和の灯〟が燃えている姿を眺めると、〝旅をしている〟ことと同時に〝いつ消えるか〟と考えてしまうことも多々あります。夜の帳が下りている広島平和記念公園にて、改めてそう思ったのは私だけではないと思います。
※ 平和の火(原爆の残り火)について。http://4travel.jp/travelogue/10991877
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 原爆ドームから5分位です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夜でもパラパラと人はいました。
- バリアフリー:
- 5.0
- 足元は整地されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- いつみても厳粛な気持ちになります。
クチコミ投稿日:2017/05/29
いいね!:9票
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