姫路城、池田輝政の時代には多数の御殿のあった場所
- 3.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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by 北田辺さん(男性)
姫路 クチコミ:30件
世界遺産登録の姫路城、天守閣見学コースを終えて外へ出た広場を備前丸と呼んでいた、姫路藩主池田輝政の時代には多数の御殿があったが本田忠政が城主になると主要な建物は三の丸に御殿が移された、備前丸跡の50m北は天守台の石垣、南は崖で拡張余地もなく姫路城の規模からすると手狭だったと思えます、急階段の天守閣はかなり疲れましたが外に出た所のこの広場は北側を除き見晴もよくちょっと休憩に好都合の場所てした、参考資料;姫路市現地がに設置した立札
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 2.5
クチコミ投稿日:2017/05/02
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