悲しい歴史の石碑
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- 旅行時期:2016/08(約9年前)
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by 壁ぎわさん(男性)
串本・古座川 クチコミ:8件
明治天皇に謁見したトルコの大使をのせた国に帰るトルコの軍艦がここで座礁する事故があった。
土地の人が 命がけで救助を手伝った、しかし大多数の命がのみこまれた、その慰霊の為の石碑です。
この大きさはトルコの人の感謝の大きさを示しているようです。
明治の事故以来 この地とトルコの友好関係が、日本とトルコを結ぶきずなになっているんですね。
詳細は
明治22年オスマン帝国皇帝アブデュル・ハミット二世は、オスマン・パシャ特派大使海軍少将を特派使節として日本に派遣した。
巡洋艦「エルトゥールル号」(2,344トン)の乗員は、下士官及び水兵、
その他合わせて650余名であった。
翌年横浜港を出発し、イスタンブールへの帰路に就いた。
明治23年9月16日、エルトゥールル号は熊野灘に差しかかった。
夜9時頃、船甲羅の岩礁に乗り上げ、同10時半頃には沈没してしまいました。
地元住民の献身的な救助活動にも、オスマン・パシャ特派大使海軍少将以下580余名が遭難、
69名が救助された。
- 施設の満足度
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3.5
クチコミ投稿日:2016/09/15
いいね!:2票
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