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歩兵第八十九連隊沖縄戦戦没者慰霊顕彰碑 施設情報・クチコミに戻る

新垣で玉砕を遂げた歩兵第八十九連隊沖縄戦戦没者を慰霊顕彰するために建立されました。

  • 5.0
  • 旅行時期:2016/06(約8年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

糸満・ひめゆり クチコミ:203件

糸満市潮平の浄土寺境内に平成10(1998)年4月8日に建立された歩兵第八十九連隊沖縄戦戦没者慰霊顕彰の碑は、沖縄戦末期新垣で玉砕を遂げた第八十九連隊の沖縄戦戦没者2,600余名を顕彰する目的で建てられました。

沖縄戦を戦った主力部隊のひとつであった第二十四師団歩兵第八十九連隊は、満州で編成された後旭川連隊区が徴兵・出征を担当した北海道ご出身の兵士が多くおられた部隊です。精鋭揃いだった連隊将兵も、圧倒的な兵力・火力に勝る米軍の前では劣勢に立たされ、遂に昭和20年6月には連隊長金山均大佐以下連隊本部将兵が自決、或いは戦死により玉砕を遂げました。

戦後米軍統治下の沖縄では軍関係の慰霊塔建立は難しいものだったとされており、なかなか建立が進まなかったそうでした。そして昭和47(1972)年5月15日の沖縄県として日本に復帰したのをきっかけに慰霊碑建立に拍車がかかり昭和47(1972)年には連隊慰霊顕彰を目的とする遺族戦友からなる八九会が発足し、組織亭慰霊顕彰活動が始まります。

昭和56(1981)年には激戦地西原町(当時は村)の西原の塔敷地内に?独立歩兵第八十九連隊顕彰碑?と連隊本部終焉之地糸満市荒垣に?歩兵八十九連隊玉砕終焉之地碑?が建立され?軍旗奉焼之地碑?の移設が行われ、連隊の足跡が広くわかるようにされました。更に昭和63(1988)年には永代供養を行う菩提寺が設定され、この浄土寺が定められました。

戦後70余年経ち遺族の高齢化など、慰霊碑の管理運営には多くの問題が山積みされていると聞いています。それを察知して菩提寺を決め、墓参法要の拠点と考えられたことは、やはり組織的に行ってこられたゆえの結論だと思います。しかし残念ながら現状その第八十九連隊関係の慰霊顕彰碑には、誤った解釈をされている情報が公的なものを含めて少なからず存在します。

どこになにがあるのか?という情報を元に訪ねて行く方々も多い中で、そのような誤った情報を放置することは、結果的に誤解を生むことになり興味を削いでしまう結果に行き着いてしまうところを危惧します。足跡を辿るのには正確な場所を知ることは不可欠であり、情報管理の必要性があるのではと痛感した今回の?歩兵第八十九連隊沖縄戦戦没者慰霊顕彰碑?の訪問でした。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
空港から車で20分程。
人混みの少なさ:
5.0
どなたとも会いませんでした。
バリアフリー:
5.0
段差はありませんでした。
見ごたえ:
5.0
新しい顕彰碑であれど言葉の重みを感じました。

クチコミ投稿日:2016/07/16

いいね!:9

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