狩野派を脅かした鬼才・等伯の国宝障壁画
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- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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by achi-cochiさん(女性)
東山・祇園・北白川 クチコミ:36件
仏像などがメインとなる一般的な宝物館とは違い、こちらの圧倒的メインとなっているのが長谷川等伯一門による「桜図」「楓図」をはじめとする秀吉を魅了したという数々の障壁画。
絢爛豪華な見事な空間なのですが、時代背景や派生川等伯と狩野派の対立の話を聞いて見ると、また感慨もひとしおです。
狩野永徳をトップとする狩野派が圧倒的に主流を占めていた戦国時代、台頭してきたのが長谷川等伯。といっても、有名になったのは50代以降。
狩野永徳の急死(47歳)を受け御用絵師の狩野派は混乱。秀吉の子、鶴松が幼くして亡くなり、菩提を弔うために建てられたのが、こちらの智積院(当時は別の名前)。その障壁画というビッグチャンスが長谷川等伯に回ってきた訳ですから、力が入っています!
等伯の出世作を始め水墨画のイメージもあったのですが、こちらは、秀吉好みで、ライバルの狩野永徳が大成した大画面構成を取り入れた構図。
等伯を超えるとも言われた息子の久蔵の『桜図(国宝)』はデビュー作でもあり、遺作にもなってしまったとのこと。
しかも、息子の久蔵の死因は狩野派による暗殺という噂が当時から立っていたほど。
画壇も戦国時代であったことが伺われます。
- 施設の満足度
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4.0
クチコミ投稿日:2016/06/19
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