しづたまの碑とは…。
- 5.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
摩文仁の丘慰霊碑群の頂上手前に位置するしづたまの碑。この建立由来文を見て改めて沖縄の戦いの熾烈さを思い知りました。人が住んでいる地域での史上稀に見る地上戦であった沖縄戦ゆえ、地域に住まわれていた住民の中には戦火により一家全滅の悲劇に見舞われた家族がおられたことは、今までの歩き回りの中でも取り上げられているものもあり、知ってはいたものの、それが留守宅の問題であるとは考えてもいませんでした。つまり戦地となった沖縄や外地にて兵士軍属としての戦没者に加えて留守宅の家族が戦火に見舞われたことにより、後から一家全滅とわかった事実…。その一家全滅した犠牲者の鎮魂を目的として作られたものがこの?しづたまの碑?となります。鎮魂とかいて?しづたま?と呼ぶこの碑は那覇市のくろしお会館敷地内に昭和44(1969)年6月17日に沖縄県遺族連合会の手によって建立されました。しかし建立地が那覇広域都市計画事業壷川土地区画整理事業施行区内に設定されてしまい移転を余儀なくされました。そこでこの摩文仁の丘へと移転し現在に至っています。
しづたまの碑に祀られている一家全滅の悲劇にあった家族は、約380家族1,500名余りとされています。今まで色々な慰霊碑や慰霊塔を見てきました。その多くはやはり家族など身内の働きかけがあって建立に至っているものが多い中で、この?しづたまの碑?の場合は、下手をすると血縁者全てが亡くなられたことも考えられます。しかし親戚同然の付き合いをしていた地域の繋がりの強さは、沖縄の素晴らしいところのひとつであり、そういうところから建立された碑である(あって欲しい)ため、余計にその存在感の大きさに圧倒されます。
慰霊碑の存在感を言うことなど、一部外者である観光客の私が語ることではないと思います。しかしこのしづたまの碑こそ、人の心によって支えられている象徴のようにしか思えなかったことこそ私の?ただひとつの本音?に違いはありません。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園駐車場より徒歩30分。園内周遊バス利用が便利です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夕方の時刻にはどなたもおられませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 敷板はひかれています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 建立の謂れを読むだけで圧倒されました。
クチコミ投稿日:2016/06/11
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