亀井(南冥 昭陽)家の墓 浄満寺
- 3.0
- 旅行時期:2016/06(約8年前)
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by konomiさん(女性)
博多 クチコミ:792件
亀井南冥は医師でもあり、儒教の学者でもあった人。
もし、この人がいなかったら国宝金印は、溶かされてしまったでしょう。
国宝金印「漢委奴国宝」発見に際し、鋳つぶし論者をしりぞけ、金印を守った方です。若干21歳にして朝鮮通信使と詩文の応接をするほどの才人でした。
福岡には全国でも珍しく、2つの藩校がありました。一つは修猷館、もう一つが1784年に南冥が創設時官庁となった藩校甘棠館(かんとうかん)です。
多くの人材を育成し、福岡藩を支えました。
浄満寺境内の一門の墓は県指定史跡となっています。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2016/06/11
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