南冥は西学問所甘棠館の館長でした。
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- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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by 旅好者さん(男性)
博多 クチコミ:265件
亀井(南冥・昭陽)家の墓は、浄満寺の墓地の北西角のところにありました。訪れた時は文化財保護の担当者と思われる方が拓本作業をしていました。県の指定史跡になっているからでしょう。亀井南冥は、福岡藩が1784年(天明4年)に東西に2つの藩校(東学問所修猷館と西学問所甘棠館)を開設した時、西の甘棠館長になった人ですね。唐人町に甘棠館跡があります。東の修猷館跡は立派な石碑がありますが、甘棠館跡は貧相ですから何とかしてあげたくなります。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2021/02/02
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