沖縄戦終戦間近の激戦地摩文仁に残る慰霊塔です。
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- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
沖縄師範健児之塔の手前、ちょうどトイレが設けられているあたりに入口がある南冥の塔は、沖縄戦に従軍された日系二世の米軍兵士であるヤマモトタツオ氏を中心とし、摩文仁集落の住民が協力しあって集めた約12,000人もの遺骨を集めて建 立された慰霊塔です。
沖縄戦に従軍していたヤマモト氏は、この地で見た母親の遺体にすがる幼児の姿を見たものの職務上見過ごすことしかできず、そのことがずっと心に残っていたそうです。
軍を満期除隊したヤマモト氏はすぐさまその記憶に残る場所に向かいました。収骨もされずに放置されていた多くの遺骨を集めて、この場所に収めたのは昭和29(1954)年9月のことでした。その後多くの遺骨は国立沖縄戦没者墓苑に移されましたが、現在でも分骨が残されています。
訪れる方も少なく静かな場所であるがため、天候によっては潮騒の音が聞こえてきます。すなわち海辺にあるということは、この地で進退極まった兵士住民、そして学徒の多くが追い込まれて自らの命を絶ちました。
魂魄之塔程古くはないものの、都道府県別慰霊塔が建立される前のまだ混乱が残る時期に、コンクリートブロックを積み上げて作られた納骨堂に、塔の建立に携わった人々の忠魂の気持ちの大きさを感じました。
ガイドブックには載らない戦跡のひとつではあるものの、塔隣りにあり火炎放射の跡が残る壕を含めて立ち寄って頂きたい場所のひとつです。
- 施設の満足度
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5.0
クチコミ投稿日:2016/05/19
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