用水路開削事業を顕彰して江戸時代に建立された碑
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- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
和歌山市船所の和歌山バス「水道橋」停留所そばに、「六堰続渠之碑(ろくせきぞっきょのひ)」という碑が建立されています。
これは、江戸時代、中村成近という人物が17年の歳月をかけて約16kmにわたる農業用水路の延長事業を行ったということを顕彰して建てられたものです。
宝永5年(1708年)に完了した大畑才蔵による六箇井改修工事(直川への延長)の後も、それより下流の楠見・粟・福島・北島・野崎・梶取・狐島・延時・西土入・貴志の10か村は水利が悪く、水不足に悩んでいました。
これを案じた船所の農民 中村成近は、六箇井用水路を延長してこれら10か村を潤す灌漑用水路を作ろうと考えたのです。
彼は、文化2年(1805年)に藩の許可を得て六箇井の延長工事に着手し、同年中に5か村の灌漑が実現しました。さらに、文化11年(1814年)から文政5年(1822年)まで約8年の歳月をかけて現在の和歌山市松江まで用水路を延長し、ついに全長16kmに及ぶ大工事を完成させて、計17か村、約120ヘクタールが灌漑可能となったのです。
この碑は、その功績を顕彰するために天保5年(1834年)に建立されたもので、碑文は「紀伊続風土記」の編纂者として有名な仁井田好古によるものです。この碑は、和歌山市指定文化財にも選ばれています。
参考に、石碑の横に立てられている説明板の内容をご紹介します。
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和歌山市指定文化財(歴史資料)
仁井田好古撰文碑 六堰続渠之碑
昭和63年3月30日指定
この石碑は、江戸時代の儒学者である仁井田好古の撰文によるもので、文化2年(1805)から文政5年(1822)にかけて行われた紀ノ川北岸農業用水路の開削事業を顕彰したものである。砂岩製で碑の高さは162センチ(総高223センチ)ある。
仁井田好古(1770~1848)は、紀伊国海部郡加太浦(現在の和歌山市加太)に生まれ のち和歌山藩へ儒者として出仕した。藩命により「紀伊続風土記」の編さんにあたり、天保10年(1829)に全192巻を完成させた。
この「紀伊続風土記」編さんの関連事業として、好古の撰文によって史跡および伝承地の顕彰碑が藩内24箇所に建てられた。和歌山市内には10基が建てられたが、現在は木碑や和歌浦玉津島神社境内にある「奠供山碑(てんぐやまのひ)」など5基が知られているにすぎない。
これらの碑は歴史顕彰事業の先駆的存在として、また和歌山藩の学術文化施策の一端を示すものとして重要な資料である。
平成2年3月1日 和歌山市教育委員会
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クチコミ投稿日:2015/10/13
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