小野小町が熊野詣の帰途に倒れたとされる場所
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- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
小野小町は、平安時代の女流歌人で、一般には「百人一首」の中の
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」
という歌でよく知られています。
ところが、その実像は良く判っていないことが多く、出生地も通説では現在の秋田県湯沢市であると言われますが、京都、山形、福井、福島、熊本、神奈川など様々な説があるようです。
また、亡くなった場所についても様々な説があり、宮城、福島、栃木、茨城、京都、滋賀、鳥取、岡山、山口など各地に「小野小町の墓」と伝えられる場所があります。
そして、実は、その「小野小町の墓」が和歌山市にもあるのです。
場所は和歌山市湯屋谷。熊野古道の「雄ノ山峠」から南へ下ったところに「山口王子跡」があり、そこから100mほど南にある畑の中に「小野小町の墓」があります。(一般の墓と同じ敷地内にありので、見学の際にはご注意ください)
江戸時代に発行された「紀伊国名所図会」によると、晩年、年老いた小野小町が熊野参詣からの帰途この地で生涯を終えたため、不憫に思った村人たちがその地に「小町堂」と呼ばれる庵を建て小町の像を安置し、その菩提を弔ったとのことです。小町堂は後に白鳥山小野寺という寺院となり多くの女性が参拝に訪れたそうですが、残念ながら明治時代に廃寺となりました。
広場の中に一つだけポツンと立ってる石碑をよく見ると、わずかに「小町堂」の文字が読み取れます。この場所がかつての小野寺であったのでしょう。
そして、「小野小町の墓」と伝えられる墓石は、その広場の一角で、無縁仏と思われる墓石がいくつも並べられている中にあります。他の石は角形のものが大半の中で、一つだけ卵形をした墓石は目立ちますが、そこに刻まれた文字は読み取ることができませんでした。
資料によれば、「宝暦十一巳 迎空了雲沙弥 正月十日」と刻まれているそうです。
宝暦11年といえば1761年、江戸時代中期ですから小野小町の時代からは何百年も後のことになりますので、これが本当に小野小町を供養するために作られたものであったとしても、随分後世になってから作られたもののようです。
また、ここから2kmほど南にある「遍照寺」というお寺には、小野小町88歳のものと伝えられる木像が安置されています。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/10/13
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