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秋葉山古戦場

名所・史跡

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信長の大軍を追い返した雑賀衆激戦の地

  • 4.0
  • 旅行時期:2014/08(約11年前)
yoshimune-kunさん

by yoshimune-kunさん(男性)

和歌山市 クチコミ:65件

秋葉山は、戦国時代に全国に名を轟かせた雑賀衆の砦「弥勒寺山城」があった場所として知られています。

天正4年(1576年)、石山本願寺を攻めた織田信長は、本願寺方についた雑賀衆の鉄砲による攻撃で大きな損害を被りました。これに脅威を感じた信長は、翌天正5年(1577年)、雑賀衆の本拠地である紀州へ討伐軍を送り込んだのです。
10万人の大軍を擁して攻め込んだ信長軍に対抗する雑賀衆の軍勢はわずかに数千人。数に勝る信長軍は、弥勒寺山に立てこもる雑賀衆に対し、和歌川をはさんだ南岸から騎馬隊を先頭に力まかせに攻めかかります。

ところが、雑賀孫一率いる雑賀衆はこれを予測してあらかじめ川の中に「馬防柵」という木の柵を設けるとともに、川底におびただしい数の壺や桶を埋めていたのです。一気に攻め寄せる信長軍ですが、川の中途で馬防柵に行く手を阻まれて立ち往生すると同時に、馬が川底の壺や桶に足をとられて次から次へと倒れていきます。にもかかわらず後方からは続々と徒歩の兵が押し寄せてくるため、信長軍は川の中で進むことも退くこともできない状態になってしまいました。

これを待ち構えていた雑賀衆は、複数人が組になって火縄銃の清掃、弾と火薬の装填、点火準備、射撃などの作業を分業する戦術(これが雑賀衆の強さの秘密!)を用いて、熟練の射手が山上から息もつかせぬ速度で正確に鉄砲を連射し続けます。反撃しようとしても、川から山の上に向かって撃ち上げる形となる信長軍の銃弾は雑賀衆の兵にまでは届かず、信長軍は事実上何もできないまま次々と倒れていったのです。

とはいえ、雑賀衆も信長軍を一気に撃破するほどの戦力は無いことから、このあと戦況は和歌川をはさんで約一か月にも及ぶ膠着状態に陥ります。予定が狂った信長軍は、「織田軍苦戦」の噂が全国に広まると本願寺などの反織田勢力が反撃に出る恐れがあるため、雑賀衆に対し「本来ならば成敗するところだが、降伏するなら許してやる」という書状を送りつけます。要するに、「『まいりました』と言ったら、今日はこれぐらいにしておいてやる」という「強がり」ですね(笑)。

あまり戦いを長引かせても利益にならないと考えた雑賀衆は、名を捨てて実を取ることを選択し、「降伏」したことにして信長軍を退去させます。
数千人の軍勢で10万人の大軍を追い返した雑賀衆は実質的な勝利であると大喜びし、この時雑賀孫一が喜び勇んで踊った姿が、今も「和歌祭」で演じられる「雑賀踊り」の原型であると伝えられています。
今は静かな秋葉山ですが、戦国時代に一躍雑賀衆の名を高めた戦いの場であると思えば、また違った風景が見えてくるかもしれません。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
3.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2015/10/13

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