紀州徳川家により寺院が集積された地域
- 3.0
- 旅行時期:2014/02(約12年前)
-
-
by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
和歌山市内中心部にある日赤和歌山医療センターの近く、国道42号線の小松原4丁目交差点から東に向かい、屋形通りへ抜ける道を「寺町通り」と呼びます。
もともとは、紀州藩の初代藩主である浅野幸長公が現在の「シティ ワカヤマ」のあるあたりを「寺町」と定めたことから、この周辺に寺院が多く建立されていたのですが、紀州徳川家の初代である徳川頼宣公が藩主になった頃に多くの寺院が和歌山城の南側に移転し、現在の寺町通りが形成されてきたようです。
これに伴い、以前の寺町は「もとの寺町」、つまり現在の地名である「元寺町(もとでらまち)」と呼ばれるようになったのです。
寺町通りには現在もなお多くの寺院が建ち並んでおり、周辺地域にはかつての城下町のたたずまいを偲ばせる景観を残した場所も数多くあります。時間があればこの周辺を散策してみるのも良いですよ。
- 施設の満足度
-
3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/10/06
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する