雑賀孫一の居城跡
- 4.0
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
和歌山市の北部に「平井中央公園」があります。
人工芝の広場が非常に綺麗な公園で、滑り台やトレーニング遊具があるほか、地域の災害時避難場所になっており、備蓄倉庫も設けられています。公園の端から見下ろすと、すぐ下にゆるやかな台地が広がり、その先に紀ノ川と和歌山の市街地を見渡すことができます。さらにその先には名草山、大日山、高積山が見え、遠く黒沢山、生石山までも展望できます。
このあたりは「平井平(ひらいだいら)」と呼ばれる場所で、この下にある台地の一帯は「政所の坪(まんどころのつぼ)」と呼ばれます。「政所」というのは平安時代から鎌倉時代にかけての時期に設けられた役所や荘園の管理事務所などのことを指しますが、この平井においては、かつてこの付近にあったと言われる雑賀孫一の館のことを表していると言われています。
平井は、紀ノ川河口の北岸にあたり、古代から瀬戸内海を通じて朝鮮半島との交易が盛んに行われていた場所であり、紀ノ川沿いに奈良の都へ向かう「南海道」の要所でもあったことから、雑賀衆の活躍していた戦国時代においても海外貿易や水上交通の拠点として栄えていたようです。また、平井から和泉山脈を越える「平井峠」は、他の和泉山脈越えのルートと比べれば比較的緩やかなことから利用者も多かったようですので、その峠の南端にあたるこの場所は、国境の重要な「関所」として、あるいは有事の際に大阪から南下する敵を迎え撃つ拠点として、非常に重要な役割を担っていたものと思われます。
こうしたことを考えると、雑賀庄(現在の和歌山市)の頭領であった雑賀孫一がこの場所に館(城であったとも言われます)を構えたことは当然のことであったのでしょう。そして、その館から目前に広がる紀ノ川平野を眺めながら、「日本最後の共和国」とも呼ばれるこの紀州の地を信長や秀吉の侵略から守るための計略を図っていたに違いありません。
残念ながら物的な遺構はほとんど残っていませんが、この平井中央公園からの景色を眺めているだけで、そんな孫一の思いが伝わってくるような気がするのです。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/09/16
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