南北朝時代、北朝方の畠山軍の本拠地
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- 旅行時期:2013/08(約13年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
一般的に「高積山」と呼ばれている山は、別名「和佐山連峰」とも呼ばれ、複数のピーク(山頂)を有しています。このうち、旧中筋家住宅の方から見て左(北)側にあるピークを「高積山(標高237m)」、右(南)側にあるピークを「城ケ峯(標高255m)」と呼びます。城ケ峯は、名前のとおりかつて「和佐山城」と呼ばれる城のあった場所です。
14世紀のはじめ、後醍醐天皇が奈良の吉野に転居したのに対し、足利尊氏が平安京で光明天皇を立てて、吉野の「南朝」と京の「北朝」の二つの朝廷が並び立つ「南北朝時代」に突入します。
この時期、紀伊国では南朝方に付く者が多く、北朝の攻勢に対抗して「最初が峰(紀の川市)」に四条中納言隆俊、塩屋伊勢守、山本党、湯浅党などの南朝勢力が集結しました。これに対抗して北朝方では、関東執事であった畠山国清に紀伊国の南朝鎮圧を命じ、1360年になって国清の弟である畠山義深を大将とする3万の軍勢を送り込みました。この時、畠山軍の本拠地となったのがこの和佐山城なのです。
一旦は龍門山(紀の川市)の闘いで南朝方が大勝するものの、やがては畠山勢が数にものを言わせて南朝の軍勢を破ります。その後、南朝方の大将であった四条中納言らは有田の阿瀬川城(有田川町)へと落ちのびていくのです。
実は、その後また南朝方は勢力を盛り返し、結果的には畠山氏は名ばかりの守護職となるのですが、いっときこの地が北朝方の勢力の中心地となったことは間違いありません。
当時の城は砦に毛の生えたようなものであり、天守閣や高石垣があったわけではないため、城跡と言っても本丸跡と思われる平地や土塁とおぼしき地形が確認できるだけですが、和歌山市内では貴重な南北朝時代の遺構ですので、ここで時代の雰囲気を感じてみるのも良いでしょう。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 標高244mの山上にあります
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 健常な方であれば問題無く上れます
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2015/09/04
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