疫病退散の信仰篤い神社
- 5.0
- 旅行時期:2013/08(約12年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
高積神社(下の宮)の横から登山道を約40分ほど上ったところが高積山の山頂(標高237m)で、ここに高積神社の本殿(上の宮)があります。
それなりに険しい山上にある神社としては異例なほど立派なお社で、多くの人々の信仰を集めていたことがうかがえます。
高積山は、別名を「高山」「高の山」ともいうことから、この神社は以前は「高の御前」「高の宮」と呼ばれていたそうです。また、疫病退散の信仰があったようで、由緒書によれば、疱瘡(天然痘)流行の節には県内外からの参詣者が絶えなかったとのことです。
現在は神社のまわりに大木が生い茂っており眺望は望めませんが、「高積神社奉賛会趣意書」によれば、かつて「高山は麓から八町余も登る山頂にあり海草平野に屹立し眺望の絶佳なることは他に比類が無く、西は和歌山市は足下にありて、遠く淡路四国まで一望の中にあり、東は高野山、南は生石山が手にとるが如く日高方面までも直ぐ間近に見え、北は紀の川が伊都方面から河口まで脚下を流れ、由緒と云ひ絶景なることは近隣に絶えて無く為めに戦時中までは参拝客其跡を絶たない状態でありました。」とあるように絶景の場所として広く知られていたようです。
古墳時代から平安時代にかけての時期には紀の川の氾濫域が今よりもはるかに大きく、高積山は紀の川沿いを通行する水上、陸上の交通を監視する絶好の位置にあると考えられるので、この場所の地政学的な意味合いは、現在の我々が考えるよりはるかに大きかったのかもしれません。
それを考えると、山東地区にある伊太祁曽神社と、そのほぼ真北に位置し紀の川を見晴らす位置にある高積山上の高積神社、そこから紀の川をはさんで対岸の宇田森地区に位置する大屋都比売(おおやつひめ)神社が、それぞれ同じ三柱の神々を祀る兄弟(兄妹)神社であるということにも、大きな意味があったように思われます。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 高積神社下の宮から徒歩で上る必要があります
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 健常な方であれば問題無くたどりつけます
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/09/04
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