茶道表千家は紀州藩の庇護の下で発展しました
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- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
和歌山市内の築地通りにある三木町堀詰橋の南側の歩道沿いに「紀州藩表千家屋敷址」という石碑が建っています。
千利休の直系第四代にあたる江岑宗左(こうしんそうざ)は、紀州藩初代藩主である徳川頼宣公に招かれ、紀州徳川家に仕えました。
この頃に千家は「表」「裏」「武者小路」の三流派に分かれていくのですが、江岑宗左に連なる表千家の家元はこの後も代々紀州徳川家の茶頭として仕えることとなり、紀州藩の庇護の下で表千家の茶の湯は庶民にまで広がっていきました。
江戸時代中期には富裕層を中心とした江戸の町人文化の中に表千家の茶道が広く取り入れられることとなりましたが、これは、紀州藩主であった徳川吉宗が江戸へ移って八代将軍となったことと無関係では無いはずです。
また、表千家茶道で使われる道具の中に「三木町棚」というものがありますが、これは江岑宗左が三木町にあった紀州藩表千家屋敷に住んでいた際に好んで使用していた形のものであり、現在も茶道の世界では「三木町」の名前が残されているのです。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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- 人混みの少なさ:
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- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2015/08/26
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