佐賀の役で斬首
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- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
佐賀市 クチコミ:8件
江藤新平は1834年、佐賀藩下級藩士の長男として生まれた。16歳で藩校弘道館に入学するが、尊王攘夷を唱えていた枝吉神陽に傾倒し、彼が結成した「義祭同盟」に参加する。しかし時流を見据えた新平はその後、開国通商策に転じ、28歳で脱藩し京都に入り、桂小五郎・伊藤博文・姉小路公知らと接触し、「京都見聞」を著した。帰国後は永蟄居を言い渡されるが、大政奉還を機に赦免された。
戊辰戦争で江藤は東征大総督府軍監に任命され、佐賀藩のアームストロング砲で彰義隊を撃破した。
1872年に初代司法卿に就任し、明治政府の司法制度導入に尽力したが、征韓論を契機とする明治六年の政変で参議を辞職することになり、翌年佐賀の役を起こして敗れ、斬首された。
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/06/24
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