明治天皇の行在所として使われた部屋も
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- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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by たびたびさん(男性)
下関 クチコミ:160件
長府毛利邸は、明治36年、長州藩の支藩であった長府毛利家の第14代藩主毛利元敏が建てた邸宅。長い廊下沿いに部屋が並んでそれぞれの部屋からはちょっとした日本庭園を眺められる設計。離れのような位置ですが、明治天皇の行在所として使われた部屋も残されています。
ところで、長府藩は幕末、尊王攘夷の急先鋒であった公家の中山忠光を一時預かります。中山忠光は、長州藩の下関戦争で外国船に砲撃を加えた光明寺党のトップに担がれたり、奈良の五條の代官所を襲う天誅組の乱を主導したりと超過激な行動が目立った人物。第一次長州征討の際は、天誅組の変から八月十八日の政変の後で、長州藩に匿われていたのですが、長府藩が持て余したこともあって刺客に殺されてしまいます。しかし、この中山忠光は明治天皇の叔父にあたっていて、明治天皇が長府に来た時はどんな気持ちだったのか。興味の湧くところではあります。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/06/04
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