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大隈重信旧宅 (生家)

名所・史跡

大隈重信旧宅 (生家) 施設情報・クチコミに戻る

最初の政党内閣

  • 5.0
  • 旅行時期:2014/04(約12年前)
bluejaysさん

by bluejaysさん(男性)

佐賀市 クチコミ:8件

佐賀市に生まれ、藩校弘道館で学び、藩校英学塾「致遠館」で教鞭を取る。このときフルベッキから英語を学び、聖書やアメリカ独立宣言を知った。
1870年に参議、1873年に大蔵省事務総裁と参議兼大蔵卿となる。
1881年、開拓使官有物払下げを巡り薩長勢と対立し、罷免される(明治十四年の政変)。野に下った大隈は、国会開設に備え、1882年に立憲改進党を結成。同年「学問の独立」を謳い東京専門学校(後の早稲田大学)を開設した。
大隈の外交手腕を評価する伊藤博文は、不平等条約改正のため、政敵だった大隈を1888年外務大臣に任命する。しかし外国人判事を導入するという条約案が不評を買い、1889年玄洋社の来島恒喜の爆弾攻撃を受け、右脚切断の重傷を負った。
1898年板垣退助らと憲政党を結成し、同年薩長藩閥以外から初の首相に就任し、最初の政党内閣を組織した(隈板内閣)。しかし旧自由党と旧進歩党の対立から解党に至り、大隈内閣は総辞職し、大隈は旧進歩党をまとめて憲政本党を結成した。
1914年には、二度目の首相に就任する。第一次世界大戦が起こると、中国での権益確保を求めて対独宣戦布告を行い、翌年には対華21ヶ条要求を提出した。だが大浦事件で国民の支持を失い、1916年に総辞職した。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
4.5
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2015/05/31

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