北畠顕家戦死の地
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- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
堺 クチコミ:10件
南朝方の北畠顕家軍は和泉で奮戦していたが、北朝方の高師直は堺に向けて進軍した。両軍は1338年、堺浦で激突した。顕家軍は連戦の疲労に加えて、味方の援軍が遅れ、さらに瀬戸内海水軍が北朝方についたため、総崩れとなった。顕家も戦場から脱出したが、共廻り二百騎とともに石津で包囲された。顕家軍は決死の戦いを挑むが、顕家が落馬してしまい、ついに討ち取られた。名和義高と南部師行もこのとき討ち死にした。
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
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- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/05/29
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