「海道一の親分」
- 3.5
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
清水 クチコミ:7件
山本長五郎は1820年、清水の美濃輪町に高木三右衛門の次男として生まれた。母方の叔父にあたる山本次郎八の養子となり、清水の「次郎八の家の長五郎」なので「清水の次郎長」と呼ばれた。
彼は家業に精を出すいっぽう、富士川舟運の権益を巡り甲州博徒と抗争を繰り広げた。「海道一の親分」と呼ばれ、子分に大政・小政・森の石松など「清水二十八人衆」がいたとされる。
1868年東征大総督府から街道警固役を任命されると、博打から足を洗い、清水港を整備すべしと訴え、自ら定期船を運行した。
次郎長が産湯で使った井戸などが、当時のまま残っている。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2015/05/15
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