真田親子蟄居の地
- 4.5
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
高野山周辺 クチコミ:3件
関ヶ原の戦いに敗れた真田昌幸・信繁(幸村)父子は、高野山に配流と決まったが、幸村が妻を連れていたため、九度山に蟄居することになった。昌幸はこの地で死去したが、幸村は脱出し大坂城で戦った。
1741年に大安上人が、真田昌幸の墓所に地蔵菩薩を安置した一堂を創建したのが善名称院の始まりであり、この地は真田屋敷の跡と言われている。
「雷封じの井」は、幸村が真田屋敷に落ちた雷を井戸に封じたものと伝えられる。
拝観無料。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 九度山駅から500メートル
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/04/05
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