かつての東海道、今は通る人も少なく
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- 旅行時期:2013/03(約13年前)
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by bluejaysさん(男性)
大津 クチコミ:4件
1891年5月11日、琵琶湖観光を終えたロシア皇太子(後のニコライ二世)が、人力車に乗って大津市の東海道を通りがかったとき、警備にあたっていた滋賀県警巡査の津田三蔵がサーベルで斬りつけた。三蔵は、人力車夫の向畑治三郎と北賀市市太郎に取り押さえられた。
人々はロシアとの戦争に発展するのではないかと恐れ、学校は謹慎の意を表して休校となり、神社や寺院では皇太子平癒の祈祷が行われ、山形県金山町では「津田」の姓と「三蔵」の命名を禁じる条例を決議した。京都府庁前で剃刀で喉を突き、死を以って詫びた畠山勇子は「房州の烈女」と呼ばれた。
伊藤博文や松方正義首相、山田顕義法相らは戦争を回避するため、皇族に危害を加えた場合に適用する大逆罪によって死刑に処するよう働きかけた。だが大審院院長の児島惟謙は、大逆罪の条文は日本の皇族のみについて規定しており、外国皇族に関しては規定していないとして、法治国家として法は遵守されるべきと主張し、政府の圧力に抵抗した。三蔵はその年謀殺未遂罪で無期徒刑の判決を受けたが、獄中で病死した。死因は急性肺炎とされているが、政府による謀殺とも噂されている。
人力車夫の向畑治三郎と北賀市市太郎には、直接ニコライから聖アンナ勲章を授与され、2500円の報奨金と1000円の終身年金が与えられた。日本政府からも勲八等の勲位と白色桐葉章、年金36円が与えられた。低い身分とされていた人力車夫に勲位と勲章を与えることは極めて異例であり、2人は「帯勲車夫」と呼ばれ一躍英雄視されることになる。しかし前科のあった向畑は、博打と遊郭にのめりこみ、日露戦争で年金が停止されると婦女暴行事件を起こし逮捕された。北賀市は郡会議員にまで登りつめたが、日露戦争が始まると「ロシアのスパイ」と後ろ指を指された。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 浜大津駅近く
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/03/25
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