白虎隊士中二番隊の初陣
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- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
会津若松 クチコミ:19件
母成峠の藩境を突破した新政府軍は、予想を超える速さで猪苗代湖畔の要衝十六橋に殺到した。ここを抜かれると城下は無防備な状態となるため、会津藩は急いで橋の破壊を開始したが、石橋だったため容易には破壊できず、ついに新政府軍に奪われてしまう。新政府軍の別働隊は湖を渡り、笹山を襲撃した。この両面作戦で挟み撃ちを受けた会津藩は、苦戦を強いられた。
松平容保を護衛して滝沢本陣に赴いた白虎隊士中二番隊は、少年だけの予備兵力だったが、戸ノ口原方面から援軍を要請され、実戦に投入されることになる。会津藩は佐川官兵衛を指揮官として、強清水集落の東1丁半にある小山(菰土山か)に塹壕を掘り、胸壁とした。
その夜台風のため激しい雨となり、隊長は隊士たちを夜営させ、自らは他隊と連絡をとるため一時その場を離れた。だが敵に遭遇し、戻れなくなる。指揮官を失い少年だけになった士中二番隊は、数倍の兵力と優れた装備を持つ新政府軍に一蹴され、負傷者を抱えながら飯盛山へと落ち延び、翌日悲劇的運命を迎える。
白虎隊士中二番隊が実際に戦ったのは、「白虎隊奮戦の地」の看板や供養塔が建てられた場所より数百メートル西で、菰土山に説明板がある。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/03/07
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