大山捨松生誕の地
名所・史跡
3.22
クチコミ・評判
1~2件(全2件中)
-
ポツンと
- 3.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
-
日本女性初のアメリカ大学卒業者
- 5.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
- 0
大山捨松は1860年、会津藩家老山川重固の五女として生まれた。幼名はさき。
会津戦争終結後、一家は斗南藩へ移住するが、彼... 続きを読む女は函館の沢辺琢磨のもとに里子に出され、さらにフランス人夫婦に引き取られた。
西洋の文化に慣れ親しんでいた彼女は、11歳のとき岩倉使節団とともに渡米する。このとき母は「捨てたつもりで待つ」という意味を込めて、名を「捨松」に改めさせた。
捨松の成績は優秀で、ヴァッサー大学を卒業し、日本女性初のアメリカ大学卒業者となった。さらにコネチカット看護婦養成学校に通い、上級看護婦の免許も取得している。
そのころ陸軍卿大山巌は、妻を亡くし後添えを探していた。スイスに留学し西洋かぶれとなっていた彼は、捨松を見て恋に落ちる。山川家は大反対し「山川家は賊軍の家臣ゆえ」と固辞したが、「自分も逆賊(西郷隆盛)の身内でごわす」と言い返されてしまう。日本語の不自由な捨松は、薩摩弁で話す大山の言うことを理解できなかったが、英語で話すと急速に打ち解け、1883年ついに結婚した。二人は男尊女卑の明治の世で、互いをファーストネームで呼び合っていた。
その後は、有志共立病院看護婦教育所や華族女学校設立に尽力した。 閉じる投稿日:2015/03/09
1件目~2件目を表示(全2件中)
基本情報(地図・住所)
このスポットに関するQ&A(0件)
大山捨松生誕の地について質問してみよう!
会津若松に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
ぴろーしきさん
-
bluejaysさん