太平洋戦争時の疎開史上最大の悲劇、悲運の一隻の記録です。
- 4.5
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by お・い・らさん(非公開)
那覇 クチコミ:34件
太平洋戦争で沖縄からの疎開船で犠牲になったのはこの対馬丸のみだそうです。
この出来事は戦時中の軍絶対秘密として公表されず、一般に知られるのは戦後15年を
過ぎた時でした。ここにはその記録があります。
この事件では他に暁空丸と和浦丸が疎開船として同道しましたが、この2隻を含めた
事件当日の動きや、その後の対馬丸関係者の60年の歩みにもっとスポットを当てて欲
しいところです。
対馬丸には一般人及び那覇国民学校の児童とその介添者合わせて1,661名(または1,788名)、
乗組員は86名が乗っていました。最終的に乗員・乗客合わせて1,476名が死亡、このうち
乗組員は船長以下24名。一方で、生き残った児童はわずかに59名と伝えられています。
同道した暁空丸、和浦丸と護衛船は漂流者救出を断念してそ全速力で危険海域から離れて
いきました。当時の護衛不足の船団では二次災害防止のため残存船を逃がすのが最善の策
とされていました。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- ゆいレール県庁前記から徒歩20分程度。
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 大学生及び一般 500円/人。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 時期的なのか、訪れる人もまばらです。
- 展示内容:
- 4.5
- 疎開船対馬丸の悲劇とその後を展示しています。
クチコミ投稿日:2015/02/08
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