改装は終わり再開館
- 4.0
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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by tadさん(男性)
下関 クチコミ:143件
タイトルは休館中とあるが、既に再開館されている。下関に英国領事館ができたのは、1901年のことだが別の場所だった。現在の領事館が新しくコーワンの設計により建築されたのは1906年とのこと。1941年に太平洋戦争の開始で領事館は閉鎖されたようだ。近年、改装のため閉鎖されていたが、この7月に再開館された。なお、現存するわが国の英国領事館では最古とのことで、1999年に重要文化財に指定されている。無料で入館できる。2階にはパブ・レストランがあり、英国ビールなどが飲める。
入館してもらったパンフレットに、アーネスト・サトウが下関に領事館を設置することを提案したとある。アーネスト・サトウは、ロンドン大学出身で最初は通訳、最終的には公使になった高度の日本語力の持ち主。多くの当時の日本人と交流があった第一級の人物だ。徳川慶喜、明治天皇等とも直接会っている。維新前後の日本の強烈な現場体験の持ち主だ。
アーネスト・サトウは、幕末の1862年に日本に着任し、1864年の下関戦争の件で、ロンドン大学への留学から戻ってきた伊藤博文、井上馨らと一緒に下関に来ている。サトウは1883年に一度帰国し、再度1895年に全権公使として日本に5年間滞在する。
サトウ関係の書物を読んでいると、とくに全権公使として滞在したころは、伊藤博文とは非常に頻繁に会っていたことが、彼の公使時代の日記からもはっきりわかる。伊藤博文は長州ファイブとロンドン大学でも呼ばれて知られているひとりで、学内に立派な石碑も立っている。サトウとはロンドン大学繋がりでもある。
ロンドン大学(UCL)の長州ファイブについては2013年の旅日記を参照: ロンドン大学(UCL)の長州ファイヴ http://4travel.jp/travelogue/10874034
とくにサトウの全権公使時代の日記は公刊された本よりは本音が暴露されており、外交問題や歴史好きにはたまらないほど面白い。一度目の滞在では幕府側と官軍側の両サイドの人物と多く知り合っていた点がユニークである。また二度目の滞在時は日清戦争の直後であり、また日露戦争も近づく中で,サトウや伊藤等との濃密なやりとりがあったようだ。
ここ下関の旧英国領事館は、そういったことを思い出させてくれる場所だ。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2014/12/07
いいね!:7票
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