現在は石碑が残るのみですが・・・。
- 4.0
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
石山寺周辺 クチコミ:120件
建武元年(西暦1334)に山岡信濃守景房によって建てられました。瀬田の唐橋という交通の要所にあり、幾度と争いの渦中に置かれました。天正十年(西暦1582)明智光秀が本能寺の変にて織田信長を自害に追い込んだ後、安土城に攻め入る際に、瀬田城主山岡景隆に協力を求めたが、信長に恩義を持つ景隆は逆に瀬田の唐橋共々瀬田城を焼き払い、明智の安土攻めに抵抗しました。戦国の世にわずか250年の間あった城ですが、本能寺の変により駿府へ逃げ帰る徳川家康の道案内をしたことから、江戸時代膳所藩主本多氏より藩別邸として臨湖庵が当地に造られ、景隆の功績を後世に残すとされました。
残念ながら時代の流れで臨湖庵跡にあった料亭もなくなり、今では臨湖庵と言う名前の高層マンションが建っています。唯一瀬田城址を示す石碑が残るのみで、かつこの場所は見通しの悪いカーブの途中にあるため、ゆっくり歴史に浸る間もありません。しかし石碑から少し南にずれると瀬田の唐橋がはっきり見ることができます。安全な場所から両方向を見ることで、戦国の時代を駆け抜けた景隆を偲ぶのも良いかも知れません。
- 施設の満足度
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4.0
クチコミ投稿日:2014/12/04
いいね!:7票
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