明治初期の虐殺を伝えますーー
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- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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by norisaさん(非公開)
津和野 クチコミ:2件
乙女峠マリア聖堂はキリスト教が厳禁だった明治元年に長崎から送られてきた153人の隠れキリシタンは、津和野藩の改宗のすすめに応じず、拷問によって36人が殉教の道を選ばざるを得なかった悲劇の地に建てられた聖堂です。
ここは日本で唯一、聖母マリアが降臨された地といわれています。
明治政府も野蛮なことをしたものですーー。
一体なぜそうも執拗にキリシタンを弾圧したのか?
江戸時代の弾圧はキリシタンが反体制勢力と結びつき、あるいはその恐れありとして弾圧されたのですが、明治維新直後はそのような動きもなかったものと思われます。
弾圧のドライビングフォースは恐らく廃仏毀釈に通ずるものではなかったかと推測されます。
即ち天皇を中心とした政治体制では神国日本として異教、即ち仏教を軽んじ、キリスト教を排除するという動きが強まったのではと推測されます。
とはいえ長崎のキリスト教徒をはるばる津和野まで連行して改宗を迫り、従わなかった者は拷問の末に殺害するというのは現代から見ると尋常ではありません。
まあ、世界各地、異教徒に対する殺戮はこの津和野の数万倍、数十万倍以上でしたから明治政府のみを非難できませんんがーーー。
しかし、こういったキリシタン弾圧は西欧列強諸国の知るところとなります。
彼らは日本政府の野蛮さを非難します。
急速な西欧化を進めていた明治政府もこれには大いに驚き、委縮します。
西欧からつまはじきにされることだけは避けなくてはなりません。
そこで,急遽信教の自由を認めました。
(いつの時代でも日本を動かすのは外圧ということですね、情けないような納得するようなーーー)
ここは急な階段が百段くらいありますので足の悪い方にはオススメできません。
しかし一見の価値がある聖なる空間でもあります。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/11/26
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