偉人の悲しい最期
- 4.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by RON3さん(男性)
榛名・吾妻 クチコミ:45件
供養塔が東善寺の本堂のすぐ脇にあります。横に、養嗣子の小栗又一 源忠道の供養塔が並んでいます。
江戸生まれの小栗上野介忠順は、権田村も領地のひとつにしていました。
幕府の要人となって、日米通商条約の締結や、横須賀の造船所の建設などに尽力した人物でしたが、最後は西軍に終われる身となって、この倉渕の東善寺に隠れていました。見つかって烏川のほとりで斬首されてしまい、このお寺にお墓を建てられました。
供養塔の近くに、胸像がありますが、これは昭和28年(1953年)に、横須賀市から贈られたものです。
烏川のほとりに、斬首された場所に慰霊碑も建てられています。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/11/13
いいね!:2票
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