「北海道」という地名もアイヌ語が使われていたとは…
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- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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by しそまきりんごさん(男性)
枝幸・中川・音威子府 クチコミ:60件
北海道には、アイヌ語由来の地名が多くあります。
札幌はサッ・ポロ・ペッ、室蘭はモ・ルラン、富良野はフラヌイ、稚内はヤム・ワッカ・ナイなどなど。
実は、「北海道」もアイヌ語から来ているとは知りませんでした。てっきり、東海道や西海道などの名称に合せて付けられたものだとばかり思っていました。ただ、全てがアイヌ語から来ているわけではありません。使われているのは中の「海」のみ。「カイ」がアイヌ語です。
明治初年、開拓使の命を受け、まだ未開の地であった北北海道の天塩川流域を探検した松浦武四郎という人物が、この地に投宿した際、アイヌの長老、アエトモという人物から、アイヌの通称「カイ」は、「この国に生まれた者」という意味であることを聞かされたそうです。そこで蝦夷地の新しい名称を決める際、「カイ」こと、加伊(「蝦夷」(カイ)ではなく、「加伊」としたそうです)を取り入れた「北加伊道」を一つの案として、合計6つの名称案を提案し、「北加伊道」が採用されたそうです。ただ、その際に「加伊」は「海」に修正され、今に至っているとのことです。
北海道を探検した人物としては、伊能忠敬や間宮林蔵、近藤重蔵などが有名ですが、松浦武四郎も、道内の細かな箇所まで探検した人物です。基本、絵師ですが、北海道ばかりでなく、全国を行脚した冒険家でもあるようです。写真がそんな容易でない時代でしたから、絵師は重要だったのですね。
このことより、何故このような場所が、北海道命名の地なのかも納得。標柱の立つ鬼刺川と天塩川の合流点近くで、松浦武四郎とアエトモ長老が出会ったそうです。
標柱の文字は現北海道知事、高橋はるみ知事が書いたとのこと。説明板も立っており、公式に認められた地のようです。
しかし残念ながら、訪れた時は、数日前に北海道地方を襲った大雨のため、もう一本の標柱は傾き、案内板の一つは川に流されてしまったそうです(礼文島では50年に1度の大雨で死者もでました)。2014年9月中に再建工事を行うとのことです。
標柱は天塩川の河川敷に立っています。国道40号線から200~300mほど砂利道を河川敷まで下ったところです。普段の川はおとなしく、訪れた時も、澄みきった青空の下、すぐ横で釣り人が川の中で釣り糸をたれていました。
標柱の前には釣り人の車が停まっていましたが、ここまでは車でしか来られません。最寄りのバス停はありません。なお、JR筬島駅がここから1.5~2kmほどの距離にありますが、1日に上下合せて9本の列車しか停車しない閑散とした駅です。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2014/09/03
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