敗戦の責任を一身に背負い、処刑されることに
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- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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by たびたびさん(男性)
山形市 クチコミ:80件
水野三郎右衛門元宣家跡は、最上義光歴史館の敷地の続き。
ちなみに、水野三郎右衛門元宣とは、幕末の山形藩主、水野家の家老。戊辰戦争の際、山形藩は、当初は官軍に味方しますが、仙台、米沢両藩の呼びかけに応じて、奥羽列藩同盟を結成し、官軍に対抗します。しかし、同盟側の各藩が次々と降伏。山形藩を救うため、三郎右衛門は敗戦の責任を一身に背負い、処刑されることに。27歳の若さであったということです。
これにより、山形藩は戦火を免れることとなったのです。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
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- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/05/27
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