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開拓史三角測量勇払基点

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何故、勇払が北海道の基線に?

  • 2.5
  • 旅行時期:2014/04(約12年前)
しそまきりんごさん

by しそまきりんごさん(男性)

苫小牧 クチコミ:71件

1873年(明治6年)、開拓使により、米国人技師の力を借りて、北海道の本格的な三角点による測量が行われる元となった基線となる場所だそうです。ここ、勇払から鵡川の14kmの基線を基に、別の1点を三角で結び位置関係を把握していったそうです。
今までの伊能忠敬や松浦武四郎などの地図は、北海道の海岸線を詳細に捉えていたそうですが、まだズレがあり、西洋の本格的な技術を導入して、正確な地図を作る必要がありました。そこでお雇い外国人の力を借りて、ここ、勇払~鵡川を基線として三角測量により地図を作成していったとのことです。
でも何故、勇払なのでしょうか。
明治6年といえば、札幌を北海道の中心と新たに定め、琴似や山鼻などに屯田兵が入植を始めたころ。石碑にもありましたが、最初、測量長は石狩川上流部に基線をとろうとしたが、うまくいかず、ここ勇払になったそうです。勇払には1800年ごろ、八王子千人同心が北辺防備のために入植しましたが、気候の厳しさや食糧難のためにわずか4年で棄却。ここの基点の近くには関連する資料などを展示した勇武津資料館もあります(実は当時の物の現物は、墓石くらいしか残ってないそうですが…)。勇払を基点としたのは、入植・棄却から70年あまり経過していたものの、当時の建物の何かかしらが残っていて、事業の拠点として適当と判断したらしいのです。また、一方の鵡川(イモッペ(井目戸)のあたり)の方も札幌、岩見沢、室蘭、浦河などを結ぶ中心地ということで、「道南のへそ」として、今からでは想像がつきませんが明治20年ころには、かなり栄えるまでになっていたそうです。
それにしても、ここから鵡川までの14kmあまり…。列車で移動しましたが、見通すにはかなりの距離です。鵡川の道の駅のホテル、四季の風の最上階(6階)から見ても、春霞みがかかっていて、途中の厚真の火力発電所が薄ぼんやり見える程度でした。石碑にも書いてありますが、当時、やぐらを建てて、双方を見通したそうです。付近は湿地帯で、それほど高い物も無かったとは言え、すごいことだなと思いました。なお、一方の鵡川の基点の場所は現在も見つかっていないそうです。
基点の石碑には、ざっと説明が書いてありますが、詳しい説明や背景などは、近くの勇武津資料館の学芸員の方に話しを聞くと、いろいろ教えてくれます。ただ、石碑を見てもつまらないので、是非訪問することをおすすめします。基線を元に作った勇払~鵡川の海岸線の地図もあります。

施設の満足度

2.5

利用した際の同行者:
友人
アクセス:
2.5
人混みの少なさ:
4.5
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
2.5

クチコミ投稿日:2014/04/28

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