石標が残るだけ
- 3.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by はまちゃんさん(男性)
今出川・北大路・北野 クチコミ:75件
地下鉄「丸太町駅」から歩いて約10分、護王神社のすぐ北に「水戸藩邸跡」の石碑が立っています。
水戸藩邸は、江戸中期にはこの地にあって、幕末まで続いたそうで、現在はこの場所もホテルになり石標が残るだけです。
石標の傍にある説明板には次のような記載があります。
【此付近水戸藩邸跡】
この付近、烏丸通下長者町西入北側は、江戸時代に水戸(茨城)藩邸があった所である。藩邸が置かれたのは古く、貞享三年(一六八六)の地図「旧藩々上邸箇所」に記されている。明治のはじめ藩邸が廃止された時は、敷地千三百二坪(約四千三百平方メートル)の広さであった。
水戸藩は、徳川家康の子・頼房を初代藩主とする御三家の一つで、石高は三十三万石。二代藩主徳川光圀は「大日本史」編集の事業をはじめ、幕末まで継続された。編集の資料を集めるため、京都にも多数の係員が派遣され、この藩邸はその拠点となり、借用資料の筆写も藩邸で行なわれた。幕末には水戸藩は尊王攘夷と佐幕とに藩論が分かれたが、ともに諸国志士の運動に大きな影響を与えた。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2014/03/04
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