出雲崎の妻入りの街並みにある赤穂浪士・堀部安兵衛(ほりべやすべえ1670−1703年)の住居跡
- 3.5
- 旅行時期:2009/04(約17年前)
-
-
by さすらいおじさんさん(男性)
長岡・寺泊 クチコミ:41件
出雲崎の街道沿いに赤穂浪士・堀部安兵衛(ほりべやすべえ1670−1703年)の住居跡の説明板があった。
安兵衛の本姓は中山氏で越後新発田に生まれた。実父彌次右衛門は溝口信濃守の家来で、一族は家老上士の身分家柄であったが故あり浪人した。父没後19歳の時江戸に出て、小石川牛天神下の剣客堀内源左衛門に剣を学び、高弟随一になり師の代稽古を勤め各藩邸に出張教授をしていた。 安兵衛の武勇を知った播州赤穂藩江戸留守居役堀部彌兵衛が安兵衛を娘ほりの婿養子とした。浅野内匠頭、吉良上野介殿中刃傷事件では堀部父子は大石内蔵助を盟主とする赤穂四十七義士とともに吉良邸に討ち入り本懐を遂げた。身柄お預けの松平邸において安兵衛は切腹、行年34歳だった。
アクセスーーJR越後線出雲崎駅から車で10分、道の駅越後出雲崎天領の里から徒歩10分
- 施設の満足度
-
3.5
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/10/20
いいね!:3票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する