最盛期には人口13,000人を数えた鉱山跡
- 4.0
- 旅行時期:2009/07(約15年前)
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by はまちゃんさん(男性)
紋別 クチコミ:2件
「鴻之舞鉱山跡」は、紋別市街から道道305号線を車で走って1時間ほどの紋別市鴻ノ舞 にあります。1915年に鉱床が発見され、有志による組合により操業が開始されたが、1917年に住友(のちの住友金属鉱山)が経営権を得て、以降1973年に至るまで操業を続けた鉱山の跡です。
鴻之舞鉱山は、かっては日本有数の金山で、鉱山の発展に合わせて、鉱山労働者とその家族の居住する街区が形成され、最盛期(1942年頃)には人口13,000を数えるまでになった。 しかし、1943年には戦争の激化による産業統制の一環として金は不要不急の鉱物となり、戦後は金価格の下落や、資源も涸渇したことから、1973年に鴻之舞鉱山は閉山となった。
鉱山跡の木製の構造物は既に朽ち果て、集落もないが、大煙突、発電所跡、学校の側壁跡などのコンクリートやレンガ製の構造物が藪や林の中に散見されます。鉱山があったことを示す碑、鉱山犠牲者の慰霊碑が建立されています。
普通の観光客が行くようなところではありませんが、歴史を伝える大切な遺構として残してもらいたいと思いました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2013/08/08
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